子どもを持たずに世界を旅する30代女性の私に向けられる社会の視線

これは、人々がはっきりと言葉にするわけではないけれど、目の動きや声のトーン、特定の質問の仕方で感じ取れるもの。

「そのうち考えが変わるわよ。」
「後悔することにならない?」
「年を取ったとき、誰があなたの面倒を見るの?」

こういった言葉を、あるいはそのバリエーションを、何度聞いたかもう数え切れません。私は30代の女性で、オムツや保育園ではなく、パスポートと航空券を選んだ人間です。

もちろん、誰かの選択を否定するつもりはありません。でも、ひとつ言えるのは、女性が「子どもを持たない」という決断をすると、特にそれがいわゆる「生物学的な時計」よりも搭乗券を優先した結果である場合、社会は多くの意見を持つということです。

ただ、これが一時的な反抗期や軽い気持ちで下した決断ではないということを知ってほしいのです。責任を避けたいわけでも、落ち着くことが怖いわけでもない。自分にとって本当にしっくりくる人生を切り開こうとしているだけ。

それでも、友人や家族、そして「自分のほうがよく分かっている」と思い込んでいる見知らぬ人々からの批判がなくなるわけではありません。

でも、誰もあまり話したがらないことがあるんです。それは、「自分が望んだわけでもない道に進むようプレッシャーをかけられること」、そして「その道を完全に手放すことの自由さ(そして恐ろしさ)」について。

1) 「何かを逃している」のではなく、「違う道を選んでいる」

子どもを持ちたくないと言うと、必ずと言っていいほど「人生の大切なものを逃している」と思われます。

親になる喜びや、無条件の愛、子どもに「ママ」と呼ばれることで得られる魔法のような瞬間。そういったものを経験しないなんて、かわいそうだと言われることもあります。

でも、こう考えてほしいんです——子どもを持たない選択をしたからといって、私の人生が空虚であるわけではない。ただ違う形で満たされているだけ。

私にとっての「魔法の瞬間」は、新しい街の朝焼けを眺めるとき、旅先で出会った見知らぬ人たちと心を通わせ、生涯の友人になるとき、あるいは、広大な大自然の中で自分がいかに小さな存在かを実感するときに訪れます。

私は、何かを犠牲にしているわけではなく、ただ、自分にとって意味のある人生を追い求めているだけ。それが社会の期待とは違っていても、私にとっての価値は変わらないのです。

2) 恐れを基準に人生を決めるつもりはない

よく聞かれるのが、「後で後悔するのが怖くないの?」という質問です。

以前はこの質問に少し傷ついていました。なぜなら、正直なところ、自分でも同じことを考えたことがあったから。子どもがいない未来を想像すると、歳を重ねたときに寂しく感じたり、周囲から浮いてしまったりするのではないかと不安になったこともあります。

でも、ある日気づいたんです——「恐れ」を基準にして決断するのは、本当に生きることではないのだと。

もし恐れに支配されていたら、私は南米へのひとり旅なんてしなかったでしょう。ボゴタの街で道に迷い、偶然見つけた小さなカフェが第二の家のように感じられたあの経験もなかったはず。

インドネシアで、深い海に潜るのが怖いのに思い切ってスキューバダイビングに挑戦したことも、一方通行の航空券を買って、ただ自分の直感を信じて旅に出たことも、なかったでしょう。

こうした経験は、単なる「冒険」ではありませんでした。どんな状況でも自分自身を信じられると証明するものだったのです。もし世界の反対側でそんな挑戦ができるなら、どうして人生の選択を「恐れ」に左右されなければならないのでしょうか?

3) 幸せに「正解」はない

エレノア・ルーズベルトの言葉に、ずっと心に残っているものがあります。

「幸福は目標ではなく、充実した人生の副産物である。」

長い間、私は幸せとは「決まったルート」をたどることで得られるものだと思っていました。大学を卒業して、安定した仕事に就き、結婚し、子どもを持つ——それが幸福への道なのだと。

でも、あるとき気づいたんです。その「公式」は、私のために書かれたものではない、と。

私にとっての幸せは、少し違う形をしています。それは、アイルランドのモハーの断崖に立ち、海風を感じながら圧倒的な自然に心を奪われる瞬間。

それは、ヨーロッパを旅したとき、一週間で5カ国の「ありがとう」を覚えようとして結局うまく言えなかった思い出。

それは、朝4時に起きて、初めて訪れる街へ向かう列車に飛び乗るときのワクワク感。何が待っているかわからなくても、きっと素晴らしいものがあると信じられること。

社会はしばしば「これが幸せだ」とひとつの形を押し付けてきます。でも、幸せのかたちはひとつではないはず。子育てが誰かにとっての「充実した人生」なら、それは素晴らしいこと。

でも、私にとっての充実とは、「探求し、つながり、世界の想像もしなかった場所で思い出を作ること」。その幸せが、他の誰かのものと違っていても、私にとっての価値は変わりません。

4) 自由は責任の一形態である

ブータンには「国民総幸福量(Gross National Happiness)」という概念があります。経済的な豊かさや物質的な成功ではなく、人々の幸福と充実度で国の進歩を測るという考え方です。

ブータンを旅したときにこの話を聞いて、自分自身の人生における「成功の定義」について考えさせられました。自由や充実感を人生の評価基準にするという発想が、私たちの社会ではあまり重視されていないのではないかと。

「旅をする自由」「自分の価値観に沿って生きる自由」「期待よりも経験を優先する自由」——こうした自由は、単なる気ままな生き方ではありません。それ自体が責任を伴うものなのです。

私は、自分にとって何が本当に価値のあるものなのか、何が自分の人生にとって意味があるのかを常に選択しなければなりません。自分の時間やエネルギーをどこに注ぐのか、慎重に考える必要があります。

自由とは、ただ好きなことをすることではなく、自分が何を求めているのかを理解し、それを追い求める勇気を持つことでもあるのです。

それは、ヒマラヤをハイキングすることかもしれないし、東欧の列車の中で見知らぬ人と深い会話を交わすことかもしれない。どんな形であれ、この自由には意識と覚悟が必要であり、それを大切にする責任があるのだと感じています。

5) 他人の期待に縛られないことを学んだ

かつて私は、自分の選択をいちいち説明しなければならないと感じていました。

家族の集まりでも、新しく出会った人との会話でも、「どうしてまだ落ち着かないの?」と尋ねられたり、「いつか子どもを持たないことを後悔するよ」と同情半分の口調で言われたりするたびに、まるで自分が裁かれているような気分になったものです。

そして、そうした言葉がずっと心の中に引っかかっていました。まるで、自分の選択を正当化しなければならないかのように。

でも、あるとき気づいたのです——「他人の期待に応えるために生きる限り、自分の人生を生きることはできない」と。

誰かが「あなたのためを思って」言ってくる言葉が、必ずしも正しいわけではない。彼らの期待は、あくまで彼らのものであり、私のものではない。

そのことを受け入れ始めたとき、不思議と気持ちが軽くなりました。

今では、誰かが「信じられない」といった表情を浮かべたとしても、ただ微笑むだけ。

彼らが何を思おうと、それは彼らの問題。私は、自分にとって最も意味のある人生を歩んでいるのだから。

6) 家族は、思いがけない場所で見つかる

「子どもを持たないなんて、家族を作る機会を逃している」と言われることがよくあります。

でも、人が見落としがちなのは、家族とは「生まれた家庭」や「結婚して作るもの」だけではなく、旅の途中で見つかるものでもあるということです。

私は、北ベトナムの小さな村で最終バスを逃し、途方に暮れていたときのことを忘れられません。

ほとんど英語を話せない現地の女性が、私を家に招いてくれました。彼女は夕食を作ってくれ、子どもたちを紹介してくれ、私が泊まっていくようにと強く勧めてくれました。

翌朝、彼女の家を後にするころには、まるで昔からの友人の家を出るような気分になっていました。

あるいは、ギリシャのフェリーで出会った旅人たち。たまたま隣の席になっただけの人たちと意気投合し、数日間一緒に旅をすることになったこともありました。旅が終わるころには、まるで長年の親友のように感じていました。

こうした出会いが、家族の形はひとつではないことを教えてくれます。

時には、見知らぬ人が思いがけず温かい親切をくれることがある。時には、世界のどこかで出会った人が、自分を「帰る場所がある」と思わせてくれることもある。

私にとって、それこそが十分に「家族」と呼べるものなのです。

7) 時間は、マイルストーンではなく「瞬間」で測る

社会には、「この年齢までに卒業」「この年齢までに結婚」「この年齢までに子どもを持つ」といったリズムがあります。

まるで人生がチェックリストのように管理されていて、その項目を埋められないと「遅れている」「何かが欠けている」と思われがちです。

でも、私にとって人生は、マイルストーンを達成することではなく、「かけがえのない瞬間をどれだけ集められるか」ということ。

例えば、アイスランドでオーロラが空に舞うのを見て、まるで宇宙が私のためにショーをしてくれているように感じた瞬間。

または、京都の桜が舞い散る中を歩きながら、時間の感覚を完全に忘れてしまった夜。

こうした瞬間は、一般的な「人生の達成リスト」には載っていません。でも、私の人生を豊かにし、私を成長させてくれました。

私は、社会が「これが成功だ」と定める枠にはまることよりも、ただ心から生きていると感じられる時間を大切にしたいのです。

結論:本当に大切なのは、自分に正直であること

社会の期待に縛られずに生きることには、勇気が必要です。でも、そこには計り知れない自由もあります。

私が選んだ人生——探検、不確実性、無限の可能性に満ちた人生——は、私にとっての本当の充実を教えてくれました。

作家のアナイス・ニンはこう言いました。

「人生の広がりは、その人の持つ勇気の大きさに比例する。」

私はこの言葉に深く共感します。私にとって、人生を広げるとは、新しい経験や出会い、そして自己探求を通じて自分を成長させること。

それは、「ある生き方を拒否する」ことではなく、「自分にとって本当に意味のある生き方を受け入れる」こと。

私たちはそれぞれ、自分にとって何が幸せで、何が人生を豊かにするのかを決める権利を持っています。

大切なのは、その選択が他の誰かの期待に沿うかどうかではなく、自分自身の心に正直であること。

どんな生き方を選ぶにせよ、自分にとって本当に意味のある人生を歩むことが、何よりも価値のあることなのだと思います。

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